『ルビンの杯』という絵。
背景を黒にして見ていると杯が見えてきます。
背景を白にして見ていると人の顔が見えてきます。
杯と人の顔を同時に見ることができません。
何を見るか、自分で決めています。
あなたは毎朝20分の散歩に出かけます。
今朝は青空が見えていい天気です。
どこのお家も玄関先に赤や黄色、紫などの花がプランターに植えてあります。
新しい喫茶店がオープンしていました。
突然大粒の雨が降ってきました。
空を見上げると青空が見え太陽の光もさしています。
よく見ると虹が見えました。
折り返して自宅に向かいます。
あと少しで自宅という時犬のウンチを見ました。
散歩の感想を聞かれたとしたらどう答えますか?
人は自分で情報を選んでいます。
例えば「犬のウンチ」の話しをしたとすれば、きれいな景色ではなく不快な情報を選択したのです。
「虹を見て嬉しかった」
「新しい喫茶店に今度行ってみよう」
「天気雨はいいことの前兆」
何を見るか自分で決めているから見る人によって表現される世界が変わります。
クライアントが「わたしはトラブルに巻き込まれて困っています。」と相談したら「あなたはどのような方法でそのトラブルを選んだのですか?」と尋ねたくなります。
世の中には「トラブル」を見ない人もいるからです。
例えば、「チャンス」「修行」「・・・・」など。
何を見るかは自分で決めています。
わたしは自分に都合が良くてしあわせに思える見方を選ぶぞと決めています。
以前、最高に辛くて体重が激減した時は「今は厳しい修行をしている。この出来事の意味が理解できる時がいつかくる」といつも思っていました。
修行は1年続きました。
今の自分があるのは、厳しい修行のお陰だなと思っています。